アビリティーズ運動、50周年にあたり ―保障よりもチャンスを!―

2016年06月23日

 1965(昭和40)年9月、朝日新聞厚生文化事業団の招きで来日したアメリカ・アビリティーズ社の社長、Henry Viscardi氏の講演会が、東京・新宿で行われました。

その2ヶ月前の7月にヴィスカルディ氏に手紙を書き、氏から著書と返信をいただいていた私は、講演のあと楽屋で氏に初めてお会いしました。その日から私の人生は、氏の磁力に導かれて今日に至りました。氏はその時53歳、私は23歳でした。

私は翌年3月早稲田大学を卒業。4月、直ちにアメリカのアビリティーズ運動の精神と同じ理念を旗印に、日本におけるアビリティーズ運動を、障害のある人たちとともに起こしました。「アビリティーズの綱領」、それは、アメリカの政治家、Dean Alfangeの哲学と言葉を継承するものと思われるが、私もまたそれをさらに継承して、行動を開始しました。それは1966年4月17日、現在のNPO日本アビリティーズ協会の創立でした。

私は、1歳でポリオにより下肢マヒの障害者となりました。小学校からずっと、体育の授業はいつも見学、運動会にも参加できず、遠足にも殆ど行けない子ども時代を送りました。就職に際しては、からだに障害があるというただそれだけの理由で、百社以上の会社から試験の前に書類が送り返され、また電話で問い合わせれば「障害者は採用しない」と言われました。身をもって差別と偏見を体験してきたことから、障害のある人たちに対する社会の様々な不条理を、なんとしても変えたい、なくしたい、と思う気持ちが次第に強くなってくるのを、私は抑えることが出来ませんでした。

大学在学中に、当時まだ少なかった障害者施設をいくつも訪問し見学しました。卒業のとき、私は、心身に障害があってもあたりまえに働けることを証明するため「障害者による障害者のための会社」を設立する決意とその準備をしていました。

そして、1966年6月11日、現在のアビリティーズ・ケアネット(株)の前身、日本アビリティーズ印刷株式会社(のちに、日本アビリティーズ社、その後、アビリティーズ・ケアネットと改称)を設立しました。設立資本金は150万円。上肢、下肢のマヒ、脳性マヒ、聾唖の障害などで私を含めわずか6人の会社が出発しました。

会社は当初の印刷業に始まり、1974(昭和49)年に福祉用具事業を開始し、1999(平成11)年には福祉施設の運営、クリニックの開設等、時代の変化とともに新たな仕事を加えてまいりました。その間、厚生省(当時)のご依頼で、今年44回目の開催となる国際福祉機器展を1974(昭和49)年に創設しました。

振り返ってみれば、様々な困難に幾たび、いや、いつも遭遇していました。しかし、きわどいところで、支えてくださる方々の暖かい救いの手をいただいてきました。50年間、継続してこられたのは、多くの方々からのご協力とご支援の賜物であります。

創業5年後、1971(昭和46)年に原健三郎労働大臣に手紙を出したところ、お会いして下さいました。5年間のアビリティーズの経営結果と、私が考えた障害者の就労についての対策案を携え、障害者雇用対策の見直しの請願をしました。それがきっかけとなり、労働省(当時)内で検討が始まり、1975(昭和50)年に改正・障害者雇用促進法が国会で成立、現在の雇用率制度や助成制度などが始まりました。1978(昭和53)年、当社は知的障害者の雇用を進めていた他の1社と共に、労働省より第1号の重度障害者雇用モデル企業の認定をいただきました。

2001(平成13)年から国際レベルの障害者差別禁止法を日本でも制定すべく、日本アビリティーズ協会など全国規模の12の障害者団体により、「障害者差別禁止法を実現する全国ネットワーク」(通称、JDA全国ネットワーク)を結成、国会内外での運動を開始しました。2006年、国連総会において障害者権利条約が決議され、日本政府も2007(平成19)年に高村正彦外務大臣(当時)が国連で署名をなされました。障害者権利条約を日本で早期に批准するためには、障害者差別を禁止する新たな法律を制定することがどうしても必要でした。

2009(平成21)年9月に政権交代があり、鳩山由紀夫総理が就任されました。同年11月24日、私たち、JDA全国ネットワーク代表団が総理官邸を訪ね、障害者制度の改革のため、①政府に制度改革推進本部を設置すること、②障害者基本法や支援法を改正すること、そして、③障害者差別を禁止する法律の制定こと、の3点の提言を申し上げました。なんと2週間後、「障害者制度の改革」が閣議決定されたのです。

鳩山由紀夫総理の決断により障害者制度の見直しが大きく動き出しました。心身に障害のある人について、国民としての基本的人権が確保されるべきである、すなわち、従来の慈善、保護、援助、救済といった福祉制度に加え、憲法で保障されている、「国民としての権利」を確保する視点により、法の整備と制度改革を行う、という方針が明示されたのです。

紆余曲折はありましたが、2010年11月から12年9月までの約2年間に、内閣府障害者政策委員会に設けられた差別禁止部会で延べ100時間の検討が行われた部会報告をもとに、法案が国会に上程され、2013(平成25)年5月衆議院、6月参議院で、全会一致によりついに「障害者差別解消法」が成立したのであります。そして施行された2016(平成28)年4月は、奇しくもアビリティーズ運動が始まって、ちょうど50周年にあたる同じ月でありました。

1966年6月、アビリティーズ設立の記念会のとき、「私たちは、アビリティーズ運動とその会社が、世の中で必要なくなるような状況になることを目標とする」、申し上げました。障害のある人たちが働く特別な会社があるということこそ不自然なことであり、だれもがその能力を活かして、差別なく働ける社会であるべきなのです。

障害者差別解消法はできました。しかし、社会で差別解消が実現するにはまだ時間がかかりそうです。私たち日本アビリティーズ協会は、アビリティーズ運動の実証企業であるアビリティーズ・ケアネット(株)とともに、その活動、事業を通して、アビリティーズの綱領に示される理念の実現に向かって、今後も活動を続けてまいります。これからも皆さまのご支援とご協力をお願い申し上げるとともに、ともに運動に参加し、進めていただくことをお願い申し上げます。

以上

            (2016年6月11日 NPO 日本アビリティーズ協会総会において)

 

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