【2019年11月7日文教科学委員会初質疑の様子】
2019 年7 月21 日の参議院選挙で、重度の障害のあるお二人の国会議員が誕生した。全国比例代表特定枠当選を果たした舩後靖彦議員と木村英子議員である。舩後議員は現在63 歳。42 歳のとき、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、現在は人工呼吸器を装着し、24 時間介護を受けながら生活されている。
両議員の登場により、国会内外のバリアフリー化や、議事進行において様々な合理的配慮が行なわれるなど、国会の対応に多くの変化があり、またお二人の存在と活動は、わが国の障害者の意識にも大きな影響を与えている。
初登院から1 年が経ち、参議院では文教科学委員会に所属し活躍を続ける舩後議員に、当協会会長・伊東弘泰がお話を伺った。(訪問当日、介助の方に回答を代読いただいた)
【写真】舩後議員を囲んで。左 伊東当協会長、右後方ALS/MNDサポートセンターさくら会・川口有美子さん、右端 萩原当協会副会長
延命したから得られた「今の私」
伊東 議員として、1 年あまり、国会で様々なご体験をされてきたことと思います。1 年間の体験と感想をお聞かせください。
舩後 いまの私の心境を一口で言えば、自分の使命を遂行できる活動ができて、“幸せ”です。
丸一年を過ぎて、ここ一年のみならずALS 発症後の21 年間の様々なことを思い出しました。例えば2002 年の8 月8 日、目前にきた死を選ばずに、人工呼吸器装着で延命したからこそ、「いまの私がある」という事をしみじみと感じています。
ALS は、死に直接いたる要因は呼吸不全です。合併症でもない限り、人工呼吸器を装着すれば延命できます。気管切開手術をし、喉に、“カニューレ”という部品を埋め込む必要がありますが。
私が延命した理由は、当時の主治医から「ALS と告知を受けたばかりの人に、アドバイスをして励ましてもらえないか」という、患者同士が支え合うピアサポートを依頼されたことをきっかけとしています。それを通して私は、同じALS 患者の仲間(ピア)が元気になっていく様子がうれしく、最後には“生き甲斐”になってきました。自分の死を目の前にしたとき、やり残したことを思い出し、それを使命と感じたのです。
私が見出した使命は、ピアサポートを通じて「難病患者、障害者が幸せになること」でした。難病患者、障害者が幸せになれる社会は、障害や難病のない人にとっても幸せな社会になります。
これが、今も持ち続けている私の使命です。「障害者が幸せになること」でしたら、何でもする覚悟があります。私が所属している参議院文教科学委員会でも、事務所メンバーのサポートにより、障害・難病のある者ならではの質問ができていると感じています。
「合理的配慮」に取組む国会
伊東 議員になられて、国会内外の対応はいかがでしたか?議員会館や役所のバリアフリー化など物理的環境だけではなく、関係先の受け入れ、対応などのことも含めてお聞かせください。
舩後 国民の皆様、議員の皆様のご理解もあり、国会内ではさまざまなバリアフリー化が進んでいます。車いすのまま席に着けるよう改修されるなど、常時車いすを利用している私にとって、活動がしやすい環境整備が進められています。
ハード面だけではありません。私が所属する参議院文教科学委員会では、声を出せない私のために、▽音声読み上げ機能のついたパソコンや、モニターの持ち込み ▽秘書らによる質問の代読 ▽再質問の際、文字盤で質問を作成する間は速記を止め、質問時間に含めない ▽介助者の同行――といった、合理的配慮を提供していただいています。
国民の皆様、議員や職員の方々のご理解によって、こうした合理的配慮を受け、活動できていることに、深く感謝しています。
こうした、バリアフリー化は、私のためだけのものではありません。たとえば、本会議場には演台に登るためのスロープや手すりが設置されますが、こうすることで、けがをした方、体調が悪い方も、不安なく登壇できるようになります。私が委員会で受けている合理的配慮も、今後、何らかの理由で発声しづらい/できない人が議員になった時にも、つながる内容だと考えております。後に続く人のための取組みだということをご理解いただければと思います。
一方、文字通り「特別扱い」になってしまっているのが、障害福祉サービスの重度訪問介護(注)です。
私たち、れいわ新選組は、就労・通勤にも重度訪問介護を使えるよう訴えていますが認められず、その分の介助費用を例外的に参議院が負担するという形になっています。しかしこれでは、私と木村英子議員以外の重度障害者は、働いているときに重度訪問介護を利用できないままです。この問題を解決するため、これからさらに取り組んでいく所存です。
【登院盤】
【国会議事堂内を歩く】
「障害者が幸せになること」をめざす
伊東 今後の議員活動について、どのようなことを予定、または計画されていますか。
舩後 当選後、私は6 年間で取り組みたい政策課題として
- すべての障害者がより利用しやすい介助制度の構築、必要な医療を受けられる体制の整備。
- 様々なコミュニケーション手段・支援の充実。
- バリアフリー:地方、小規模店舗、学校におけるバリアフリーの徹底、ハードの進歩に追いつかないソフト(乗務員や会社)の側の意識改革。
- インクルーシブ保育・教育の実現。障害のあるなしで分け隔てられることなく、必要な合理的配慮を受けて共に学べるようにする。
- 障害、病気等があっても社会参加し、働きがいのある人間らしい仕事に就き、経済的な自立を図れるように、障害者が健常者とともに働くための職場環境の整備や合理的配慮の実現。
- 医療的ケア児に対する医療・福祉サポート体制の充実(親任せにしない)。
をあげました。特にインクルーシブ教育・保育の実現は、全ての政策の基盤をつくるものと考え、文教科学委員会でも鋭意取り組んでいきます。
また、これに加えて、
- 脱施設、施設・病院内の虐待防止・権利擁護
- 災害時における障害者・高齢者等「要支援者」を置き去りにしない、インクルーシブ防災の推進
- いかなる障害があっても、重篤な病気であっても、誰もが尊厳と生きがいをもって自分の人生を全うできる社会づくり
も、取り組むべき課題として追加いたしました。
それは多くの方から、お電話、お手紙、ファックス、HP への投稿などでご意見・ご相談をいただいてその都度取り組んできた結果です。
残り5 年で、どのように優先順位をつけて取り組むか、当事者や研究者の方々のご協力をいただきながら、政策課題へのアプローチ方法を練っているところです。
伊東 障害団体や、障害当事者からの必要な協力、応援、など舩後さんから要請されたいことがありますか。
舩後 特に、障害者施設や病院での虐待の問題に一緒に取り組んでいきたいと考えております。皆様に応援していただければ、奮闘邁進できるのは確実です。
【2019 年11月7 日委員会初質疑】
【文教科学委員会での様子】
注:重度訪問介護について
舩後議員・木村議員は、障害者総合支援法に基づく福祉サービスの「重度訪問介護」を利用し、木村議員は1 日あたり24 時間、舩後議員は1日当たり21 時間のサービス利用を認められているが、「重度訪問介護」は、「経済活動に係る支援は認められない」として、就労中の利用を認めていない。しかし両議員は、ヘルパーの支援なしには議員活動を行なえないため、現在、介護費用を参議院が負担している。
舩後 靖彦(ふなご やすひこ)氏
1957 年岐阜県生まれ。拓殖大学政経学部卒業。ミュージシャンを目指すも左腕麻痺のため断念。その後、貿易会社に入社、 商社員として海外を飛び回り活躍する。
2000年 42 歳の頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断される。
同年退社し、2002 年に人工呼吸器や胃ろうを装着した。2014年、訪問看護を通じて知り合った看護師が社長を務める介護関 連事業会社の副社長に就任する。
2019 年、参議院選挙で、「れいわ新選組」から「特定枠」候補として立候補し、初当選する。
詩歌や童話などの創作活動、講演活動も積極的に行なう。国会での活動のほか、自らの日常生活(痰吸引や入浴の様子など)も動画で紹介している。
連絡先:舩後靖彦後援会「チームふなGo!」千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館302
TEL:03-6550-0302 FAX:03-6551-0302 yasuhiko_funago@sangiin.go.jp
聞き手/伊東 弘泰(当協会会長)
1歳でポリオにより下肢障害。1966 年早稲田大学卒業後、同年4 月、日本アビリティーズ協会( 現NPO) を設立して
アビリティーズ運動を開始。同年6 月、障害者による障害者のための株式会社を設立(現アビリティーズ・ケアネット)、
重度障害者6 人で印刷業を創業。5 年後の1971 年に原健三郎労働大臣に面会する機会をいただき、アビリティー
ズの5 年間の実績をもとに、障害者雇用に関する請願書を呈上。4 年後、国会で障害者雇用促進法(改正)が成立。
2001 年先進国並みの障害者差別禁止法の制定実現のために12 の障害者団体で、「JDA(障害者差別禁止法)を実現する全国ネットワーク」を結成(現、一般社団法人障害者の差別の禁止・解消を推進する全国ネットワーク)、運動を国会内外で展開。2013 年6 月「障害者差別解消法」が国会で成立、2016 年4 月施行された。
本記事は 日本アビリティーズ協会 情報誌 No.171 より転記しました。
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