もの言わぬ障害者の声 - アビリティーズの主張3

2017年02月06日

1992(平成4)年6月中旬、1週間、デンバー、サンフランシスコ、ロサンゼルスを訪ねた。

 いつものことながら、空港や街では、車いすの人やさまざまな障害のある人をたくさん見かけた。ロサンゼルス空港の、たくさんの人が行きかうターミナルビル内では雑踏の中を、盲導犬を伴った視覚障害の人も、なにげなく歩いていた。ADA(障害のあるアメリカ人に関する法律)の制定以来、アメリカの旅客機内には、原則として車いす用トイレが設けられるようになった。飛行機に乗るたびに、必ず1人か2人、車いす利用の人がいる。

市内の歩道には、美しいカラフルな車いすに乗っている人が結構いるし、ビジネスマンらしい車いすの人が、レストランで食事を楽しんでいる光景にも多く出会う。ADAという法律ができるくらいだから、アメリカでもまだまだ障害者に対する社会の壁は大きいのであろう。しかし、やはり日本のそれとは、はるかに違うことを感じる。

 つい先日、大新聞の東京版に障害者雇用の特集広告がのった。世界的企業のソニーをはじめ数社が、きっとものすごく高い広告料と思われる大きなスペースをさき、障害者を勇気づけるような文章を用いて、求人募集を出していた。障害者に対する世の中の姿勢は、少しずつ変わってきたようだ。しかし、その実態は最近のアメリカの状況とは、まだ大きくかけ離れている。

 バリアフリー化がいわれている反面、大都会〝東京〟は駅や公共的建物をはじめ、交通機関は高機能化し、障害者や高齢者にはなお困難が増している。障害者の雇用受け入れのポーズを企業から示されても、大都市の公共交通機関を利用して通勤することは、容易ではない。車通勤の方法もある。しかし都心部では駐車スペース一台分の確保に月4、5万円もかかる。

 障害者をめぐる壁は物理的環境だけではない。きのうまで企業戦士として闘ってきたビジネスマンも、ひとたび脳卒中等で倒れ、長期の療養に入れば休職期間は概ね1年。長くて2年で〝退職〟となる。かつての仲間からも忘れ去られ、やがて家族の支えのみによって淋しく人生を過ごさねばならない。リハビリも思うように受けられず、行動さえ自由にならない。復職の夢がなくなる。

 福祉施設も少ない。ようやく入れた施設でも、プライドを保ち、QOL(生活の質)を確保できるところがどれほどあるか。老人ホームや障害者施設で、高齢の利用者が、孫ほどの年令の差のある職員に子供扱いされていることが多い。それでも無表情なおとしより。無視しているのだろうが、精いっぱいの抵抗を示しているのかもしれない。

 50才位の言葉の不自由な重度の脳性マヒのある人が、施設で若い指導員にふざけ半分に頭をコツンとたたかれていたのを見かけたことがあった。彼は、顔いっぱいにゆがめて笑い、体をくねらせるしかなった。

 福祉の分野にもさまざまな公的資格制度が導入され、学問的、技術的向上が図られている。しかし、障害者やおとしよりに真に愛情をもって接する「心」、「人間性」が欠けていたら、それはたんに福祉を職業とする労働者を生み出すだけに終わる。

 平等のチャンスを得られず、歯をくいしばりながら生きているのが、いまの日本の障害者たちの姿である。障害者運動のリーダーたちが、いろいろな場で発言する機会も増えてきた。しかし、圧倒的多数の障害者は、今も変わらず、もの言わぬ、いや言えぬ存在である。福祉施設で、街で、ある場合は自分の家でさえもである。

 福祉の現場で働く人々は、もの言わぬこれらの人々の言葉に、耳を傾けてその心を理解することが大事だ。少なくとも、障害者や高齢者を「メシの種」とする〝労働者〟にはなって欲しくない。

(1992年7月 アビリティーズ紙74号より転載)

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