逆進する日本の福祉 - アビリティーズの主張2

2017年01月30日

 望まずして障害を負い、社会で同じ国民としての機会、便益を得ることなく、日々、苦労と差別などでじっと耐えている人たち。一度限りの人生を意味のあるもの、生きて来て良かったといえるものにしたい。

 「21世紀の福祉社会を創る市民エキスポ」(以下、福祉エキスポ)の第4回大会が、2006年5月28日、大阪中央公会堂で行なわれました。日本アビリティーズ協会や、在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワークなどさまざまな団体が参加しています。今回の大会長は柴田多恵さん、ポリオの障がい当事者です。福祉エキスポは当事者主体の大会です。副大会長は大阪・摂津の医師会長をしておられる下野英世先生です。
 テーマは「自立支援法と障害ある日本人の未来」でした。厚生労働省から藤木則夫障害福祉課長に、基調講演をしていただきました。藤木さんの丁寧なご説明はわかりやすく、またお人柄の良さを感じました。しかし、法律の趣旨、内容、現実に提供されるサービスや制度を知れば知るほど、障がい当事者の現実の問題やニーズとの乖離、そして自己負担の重さ、支払い能力などさまざまな矛盾と問題を参加者が感じました。

 開会にあたり、柴田大会長から、
 「私は幼稚園の頃、運動会では他の人たちよりもスタートラインをずっと前にしてもらい一緒に走りました。しかし人生でのスタートラインは、みんなよりもずっとずっと後ろ。それもかなりの重荷を背負わされてのスタートであり、決して自分で望んだスタイルのレースではなかったのです」という話がありました。また、「自立支援法を検証する」という午後のプログラムでは障害当事者5人が意見表明をしました。

 それぞれの発言は重いものでした。関西野球リーグで選手として活躍したSさんは、試合中に相手側選手と衝突し、頚椎損傷の重度障がいを負いました。Sさんは、
 「月額約8万円の障害基礎年金が主たる収入、プラス月額約2万円の特別障害者手当、ライターとしての収入を加えながら在宅で介護サービスなどを受けて生活している。今度の自立支援法により、利用する福祉サービスについて、その費用の10パーセントを「応益負担」として支払うことになった。自己負担の最高限度額は月3万7200円だが、年間に約45万円の負担になる。年120万円の年金等の4割近くをこの支払いに回さなければならないという現実は厳しい。これでは自立支援どころか、生活、生存すらできなくなる」と、ご自身のケースを例として率直に問題を投げかけました。

 藤木課長さんのお話によれば、自立支援法の狙いのひとつは、「心身に障がいのある人にも頑張ってもらって、できるだけ自立して、仕事についていただく。そのために、介護サービス、生活支援、就労支援などさまざまな支援をしていく」とのことでした。

 障害者雇用促進法が大幅に改正され、それ以前よりも機能するようになったものの、この30年間に法定雇用率が一度たりとも達成されたことはありません。(現在の法定雇用率は1.8%)大手企業の半数がいまだ雇用率を達成していないし、雇用されている障がい者が、とくに大手企業では一年単位の雇用契約となっていたり、正社員でなかったりと、身分が保障されていない。あるいは、給与水準が一般的に低かったりする場合が多いのが現実です。

 このように就労の十分な可能性や機会が確保されていない現在の社会情勢の中で、しかも雇用促進法の大幅改正後30年を経て今なお、顕著に雇用拡大の成果をあげ得ていないにもかかわらず、就労を前提にしていることは、自立支援法のめざしているところが非現実的であることは当事者でなくとも感ずるに違いありません。また、今になって、「就労をめざして障がい者の皆さんに頑張ってもらうのだ」といわれるのは、唐突で戸惑いを感じます。

 医療、介護保険制度、障害者福祉制度などが5年ごとに変わり、内容が薄くなっています。医療制度もたびたび変わるごとに負担が増えます。このように「制度改革」と称していろいろな社会保障がどんどん変わっていきますが、結局、財源論が最大の根拠で、社会保障の理念は二の次にされています。

 障害のある人たちのガイドヘルパーのサービスが、支援費制度にはきちんと入れられていたのに、自立支援法でははずされて、「地域生活支援事業」となり、その実施は市町村の判断で対応されることになりました。移動が自分でできない人にはそれを可能にするサービスが必要だが、市町村にその用意がなければ外出できなくなる人も出てきます。

 また、言語の障害がある人が、例えば病院で治療を受けるに際して、コミュニケーションのヘルプが必要だが、そのサービスのない市町村もあるわけで、このような場合、当事者は困難や苦痛だけではなく生命の危険にさらされます。自立支援法は全国一律でも、現実にサービスを提供できる福祉施設や事業者の数や質は、いまでも市町村により大きな格差があるわけで、こうした地域差の問題を解決することなく、市町村に障害者福祉を委ねるということは、同じ国民であるにもかかわらず、住んでいる自治体により受けられる「福祉」に格差が生まれる結果となっています。

 望まずして心身に障害を受け、困難をかこっている多くの日本国民、それがどこの県、市町村に住んでいようと、国民の一人として同じように生活、生存できる社会であるべきです。それを保障し確立していくのは本来、国家としての責任ですが、それがむしろ逆の方向に向かっているのではないでしょうか。

 2000年4月に始まった介護保険制度も3年ごとに保険の報酬見直しがあります。改正介護保険制度、とされているがサービス対象者を削減するとともに、サービスも減らし、さらには事業者に対する保険報酬を全体的に下げたのが前回の平成18年改定の実態です。

 こうした制度の変更は、保険制度をつくり管理・統制する行政と、それを受けてサービスを提供する事業者及びその従事者との間に、いま異常な緊張関係とストレスを生じさせています。良いサービスを提供しようという想いがあっても経営採算を考えるとできない。医療や介護に情熱と、プロとしての力量を持つものほど、矛盾と問題に当惑しています。

 そして何よりも当事者である高齢者や家族の実態、困難な在宅介護の事情がどれだけ突っ込んで調査そして議論されたのか、いやむしろあえてそこには立ち入らないようにしたのではないか。誰のための福祉かを考えれば、まず最初に、大切に話を聞くべきは高齢者や障害当事者とその家族であるはずなのだが。

 冒頭のSさんの叫びは、当事者不在で仕組まれていく社会保障制度の“改革”全般にたいする国民のどうしようもない不信、怒りを表現しています。この世の中でささやかにしか生きていけないことに甘んじている当事者の声を、国会も行政も、そしてサービスを提供する事業者もまた、大切に聞いてほしい、理解してほしいと願うものであります。

(2006年7月 アビリティーズ紙147号より転載)

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