1.ひっそりと生きる障害者
ところで労働省で障害者雇用促進法の検討が行われているとき、私にも時に関係担当課よりお呼びがかかり、いろいろ質問を受けた。労働省が新しい制度づくりに本気になって取り組んでいることを実感した。からだに障害のある人たちが一般企業で雇用される時代がまもなく来るような手ごたえがあった。
しかし当時、障害のある人たちの実情といえば、ほとんどが家に閉じこもって生活していて、街になど出ていなかった。とくに重度の障害のある人たちは外出の手段も、機会もなかった。たまに外に出ても人々は振り返ってじろじろと見る。小さな子供を連れた母親は「お前もいい子にしていないとあの人みたいになるよ」とささやく。当時、地方では障害をもつ人が家の座敷牢に閉じ込められていたなどということが時折、新聞等で報道されていた時代であった。障害をもつ人は社会の裏側で人目に触れぬようひっそりと生きていたのだ。
労働省の新しい障害者雇用対策の方向は、次第に明らかになってきた。そうなると、次は障害のある人々を世の中に引き出す方法が必要となる。私は、先進的なアメリカの実情について調べることにした。昭和47年のことであった。
2.福祉機器の活用をアメリカで知る
ニューヨークでは米国アビリティーズ社で、創始者ヘンリー・ビスカルディ氏からいろいろアドバイスをいただいた。
慣れない外地での長旅で疲れ、明日はようやく帰国の途につくという日の夕方、米国アビリティーズ社の玄関先でタクシーを待っていた私は、仕事を終え帰宅する電動車いすの中年女性に出会った。周りに誰もいなかったので、その女性が自分の車に乗り込んだあとその電動車いすを工場に戻すのを手伝うことになった。
彼女の明るくはつらつとしたしぐさと物言いに私は何ともいえない清々しさを感じた。そして、車いすを工場の玄関に移動させながら、私はこの車いすがそんな彼女の一日の生活を支え、素晴らしい労働を可能にしていたことに気付いた。そういえばアメリカ滞在中の3週間、こうした電動車いすをはじめ、いろいろなリハビリテーション機器、生活支援機器が障害をもつ人達に数多く有効に使われていたのを見てきた。これが社会復帰、生活自立を可能にしているのだということを改めて実感した。私はその電動車いすをカメラに収め、アビリティーズ社を後にした。タクシーの中で私は快い疲労の中、静かな感動を覚えていた。
帰国後、持ち帰ったいろいろな機器のカタログを携え、いくつかの医療機器会社に「障害者の社会復帰のためにこういう機器を製造、販売して欲しい」と依頼にまわった。ところがどこからも断られた。医療機器商社の老舗、本郷いわしやの現会長、古関伸一氏からは「車いすなどはレントゲンやベッドを買ってくれたら無償で寄付しています。買う人はいませんよ」と言われてしまった。つまり、商売の対象ではなかったのだ。
「こうなったら我々がやらなければ」との想いが募った。私はアビリティーズ社を去るときに例の電動車いすの写真をとったが、それを頼りにメーカー名や住所を調べ、手紙を出した。まもなくカタログ、価格表が送られてきた。それはエベレスト&ジェニングス(E&J)社で、私はすぐに2 台の電動車いすを発注した。当時、電動車いすは日本ではほとんど見られず、東大病院のリハビリテーション部に同様のものが1、2台あった。面倒な輸入手続きを経てやっと届いたその2台には、すぐに買い手がついた。
これに気をよくして次は12台の注文を送った。しばらくしてE&J社からきた返事は「S商事が日本総代理店なのでそこから買ってくれ」ということだった。そこでS商事に問い合せたところ、さらにその先に総発売元があるという。そこに問い合せると「在庫はないので取り寄せるのに2カ月かかる」。さらに販売価格は、驚いたことに我々がメーカーから直接買った値段の4.5倍だった。再びE&J社に直接買いたいと依頼したが「前回はわずかだったので直接売ったが、契約上S商事以外には出せない」の一点張りだった。やむなくE&J社の車いすはあきらめることにした。
そこで、海外の電動車いすメーカーを片っ端から探し、手紙を出した。3、4カ月ほどしてイギリスのビドル・エンジニアリング社の会長から「日本に行くので会いたい」との返事がきた。そして商談は成立、早速サンプルとして1台の車いすを買った。
3日後、その 1台と東大リハビリテーション部から借用した古いE&J社の2台で、銀座の歩行者天国を行進した。「車いすの使える街づくりを」と書いた手づくりのプラカードを掲げ、車いすには私と協会会員が参加、創業当時からの社員の結城邦子さんがサンプルで買ったばかりの電動車いすに乗り込んだ。結城さんは子供の頃から両下肢歩行障害者であった。ビドル社の会長、社長、そして本郷いわしやの古関会長(当時)も一緒に参加してくれた。
この銀座での“行進”は、その夜のテレビニュースで紹介され、早速数台の注文が舞い込むことになった。また「街づくり運動を一緒にやりたい」という障害のある人たちからの手紙もいただいた。
こうしてアビリティーズのリハビリ機器の取り組みは始まった。といってもまだ試験段階で、日本アビリティーズ協会員向けの機器の紹介、取次といったレベルであった。欧米の福祉先進諸国の機器情報を調べ、テスト的に輸入して試用実験を行ない、会員からの依頼があればそれを実費プラス経費くらいで提供していた。そして、こうした依頼は想像以上に早いペースで増えていったのである。