アビリティーズ運動

保障よりもチャンスを。
人間に無能力者はいない、あるのは能力者だけだ。

アビリティーズ運動は、1966(昭和41)年、心身に障害ある人たちの自立と社会参加を実現することを目的に、理念としてアビリティーズの綱領(下を参照)を掲げ、障害当事者による活動体として始まりました。4月に日本アビリティーズ協会(現在NPO法人)を、6月には、障害ある人たちを中心に6 人で障害者による障害者のための会社、株式会社日本アビリティーズ社(現アビリティーズ・ケアネット株式会社)を設立しました。同社は、1978 年に労働省(当時)より、わが国第1号の重度障害者多数雇用事業所に認定されました。

いかなる障害があっても、住み慣れた街に住み続けられる社会、環境を作っていくために、1972(昭和47)年から、海外諸国のトップメーカーと提携して、福祉用具の開発、販売、レンタル事業を開始し、普及活動に取り組んできました。 

介護されるよりも、できるだけ自らの判断と選択により、ご自分らしい生活や主体的な生き方を可能にすること、そのためにリハビリテーション機器や日常生活機器を開発し、普及してきました。

たとえ心身に障害はあっても、だれも一度きりの人生です。アビリティーズの機器を活用して、あなたもすばらしい人生の花を大きく開かせることができますことを、私どもは願っています。

アビリティーズの綱領

わたしは平凡な人間でありたくない。非凡な人間としてできれば保障よりもチャンスを選ぶこと…これこそわたしの願いである。わたしは、国家に養われ、卑屈で、怠惰な人生をおくることに満足できない。わたしは、夢をえがき、計算された冒険の道を求め、建設しつづける。──たとえそれが成功しようとも、失敗しようとも。

わたしは、すばらしい人生の刺激を、いくばくかの施し物のために放棄することなどしない。わたしは保障された生き方よりも、つねに挑戦する人生を選ぶ。それはユートピアのような日々ではなく、スリルに満ちた世界である。

わたしは、決して、恩恵のために自由を、慈善のために尊厳を捨てることはしない。いかなる権力者の前でも畏怖しないし、また、いかなる恐怖に対しても恐れることはない。姿勢を正し、誇らかに、なにごとも恐れず、自らの意思で決断し、行動する。自分で創造していくことを大切に考え、世間に向かってこう宣言したい。
──これがわたしの成し遂げたことだ──と。

すべての障害者のために、あなたとわたしのために、この綱領は名誉ある日本人としての道を示すものである。

一九六六年四月一七日 宣言

アビリティーズ運動創始者 伊東弘泰 について

アビリティーズ運動創始者 伊東弘泰

 1942年2月 東京生まれ。1966年 早稲田大学商学部卒業。身体障害を理由に100社以上の企業から就職試験を断られたことから、心身に障がいのある人たちの自立生活と社会参加を実現する「アビリティーズ運動」に取り組む。

「保障よりも働くチャンスを」、「世の中に無能力者はいない、あるのは能力者だけだ」をスローガンとして掲げ、日本アビリティーズ協会(現・特定非営利活動法人)を設立。

 同年6月、心身に障害のある人たちの働く場作り、就労、雇用の促進をめざし、株式会社による障害者雇用企業、日本アビリティーズ社(現・アビリティーズ・ケアネット株式会社)を設立した。障害者中心にわずか6名の小さな出発でした。

 わが国の障害者制度を国際水準に引き上げるために、国会や政府、各方面に障害者差別禁止法制定の活動を展開し、2013年6月19日、「障害者差別解消法」の国会成立に寄与した。2014年9月22日、一般社団法人 障害者の差別の禁止・解消を推進する全国ネットワーク(旧称 障害者差別禁止法(JDA)を実現する全国ネットワーク)の会長として更なる活動の発展に努める。

  • 特定非営利活動法人 日本アビリティーズ協会 会長
  • アビリティーズ・ケアネット株式会社 代表取締役会長兼社長
  • 特定非営利活動法人 福祉フォーラム・ジャパン 副会長
  • 一般社団法人 障害者の差別の禁止・解消を推進する全国ネットワーク 会長
  • 公益社団法人日本理学療法士協会 顧問
  • 財団法人 日本リハビリテーション学舎 専門学校社会医学技術学院 評議員
  • 元・内閣府障害者政策委員会差別禁止部会副会長
  • 元・早稲田大学人間科学学術院客員教授

Profile Mr. Hiroyasu Itoh

アビリティーズ運動、1966年開始

1966年「障害者であっても、積極的に自分の人生を展開していこう、やればできる」の思いで始めたアビリティーズ運動
アビリティーズ運動の実証企業体として障害者中心に6名で起業した日本アビリティーズ株式会社(現在のアビリティーズ・ケアネット株式会社)。

障害者雇用促進法制定のきっかけを作り、2016年4月に施行された障害者差別解消法の国会での制定(2013年)にも、多くの障害者団体とともに強力に活動を展開してきました。
その闘い、活動は今も続いています。

#
保障より働くチャンスを 日本アビリティーズ協会を創立 1966年4月
1966(昭和41)年4月、日本アビリティーズ協会の創立集会が東京・大田区で行なわれた。新聞やラジオ、テレビ等で集会のことを知った200人もの身体障害者の人達が、当日、会場につめかけた。…
#
からだに障害があってもできるはず 日本アビリティーズ社の設立 1966年6月
1966年6月11日、会社は設立登記を完了、創立した。はじめの工場は東京・大田区の長屋工場の5坪ほどの一角で、それも天井もなく、風向きによっては、夏の暑さでトイレの臭気がたちこめるような所であった。1…
#
労働大臣との劇的な出会い 障害者雇用促進法の大幅改正 1971年
原大臣にお目にかかって4年後の昭和50年10月、国会で障害者雇用促進法の大幅改正がついに成立、翌51年4月施行された。これにより、一般企業は全従業員の1.5%(現在は2.3%)以上の人数の障害者を雇用…
#
"旅"で人生が変わる リハビリツアー 1972年
1972(昭和47)年の初夏、身体に障害のある20代の若い人たち15人と、特に障害はないが、障害者と何らかの関係のある分野で仕事をしている人たち5人の、合わせて20人でアメリカ、カナダ、そしてハワイも…
#
福祉用具ビジネスはどうやって始まったか 1972年
からだに障害のある人たちが一般企業で雇用される時代がまもなく来るような手ごたえがあった。…
#
海外メーカーとの提携 1973年
1972(昭和47)年に商品開発を始めた当時、ヨーロッパでは機器の規準化、公的給付がすでに進んでおり、機器の展示や適応を行なうテクノエイドセンター、あるいは同様な機関が北欧、英国などで重要な機能を発揮…
#
初めてのリハビリ福祉機器展 1974年
昭和49年7月14日、日本アビリティーズ協会は東京の霞ヶ関ビル33階にあった東海大学校友会館を借り切り、わが国初の「リハビリ福祉機器展」を行なった。これには元中央共同募金会の小野顕事務局長さんに随分と…
#
商品開発の第一号は食器 1974年
当社が本格的に福祉機器の仕事を始めたとき最初に開発に取り組んだ商品は、握力がなかったり全く握れない人でも使えるスプーンや、皿の片方のフチが高くなっていて豆類等の細かいものでも皿から飛び出さずスプーンで…
#
ブックセンター『スクラム』の開店 小売業に障害者の雇用を 1983年
1983(昭和58)年4月29日、宮城県泉市(現仙台市泉区)の上空に、「ブックセンター『スクラム』開店、どうぞよろしく」という大きなアドバルーンが、朝早くからいくつもポッカリと浮かんでいた。日本アビリ…
#
ライフサポートプログラムの始まり 1990年
アビリティーズの「福祉・医療相談室」は、月~金曜日、朝10時から夕方まで会員とそのご家族からの相談を電話で受けている。相談員は保健師、看護師、ソーシャルワーカー等で、必要に応じ、専門各科のドクターのバ…
#
アビリティーズの施設サービス 1999年
1999年、東京・府中市に高齢者や障害者用の住宅を開設することになった。翌年から介護保険制度が開始されることが決まり、制度の詳細が次第に明らかになるにつれて、アビリティーズのそれまでのビジネスモデルで…
#
地域ケアをテーマに 2009年
高齢になっても障害を負っても、地域で生活を継続できる社会をめざすべきと皆言われる。しかしなかなかそうならない。不自由になれば家から一歩も出られなくなる人も多い。生活も成り立たなくなる。介護保険サービス…
#
障害者差別解消法の成立への運動 2013年
「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(以下「障害者差別解消法」という)は、2013年5月に衆議院本会議で、6月には参議院本会議で(附帯決議も含めて)可決され、6月26日に公布された。本法の…
Share:
ニュースレターを講読