昭和49年7月14日、日本アビリティーズ協会は東京の霞ヶ関ビル33階にあった東海大学校友会館を借り切り、わが国初の「リハビリ福祉機器展」を行なった。これには元中央共同募金会の小野顕事務局長さんに随分とご協力をいただいた。日曜日の小雨が降る中にもかかわらず、3,000人もの人が押しかけた。隣の久保講堂の所有者の全社協さんにお願いして50台分の駐車場をお借りしたが、すぐに満杯になってしまった。

わが国初の「リハビリ福祉機器展」

日本最初の超高層ビルの設計者は、車いすの人たちがこの建物を利用することを想定していなかったようだ。会場は入口をはじめあちこちに段差があり、トイレも使えなかった。そういった不都合は多くのボランティアによって対応した。世界中から集めた珍しい機器に来場者は驚いた。この模様は翌日の朝刊各紙、NHKの朝のニュースでも報道され、問い合せの電話、手紙が全国から寄せられた。

日本アビリティーズ協会がテスト的に約2年間にわたり行なってきた会員へのリハビリ機器の紹介は、もはや研究調査の域を越え、本格的に事業として取り組まざるを得なくなっていた。展示会の翌日、日本アビリティーズ社(現アビリティーズ・ケアネット)のリハビリ事業部が本格的にスタートした。昭和49年7月15日である。

この展示会のことを知り、電話を下さった方の中に当時の厚生省社会局施設課長の館山不二夫氏がおられた。

「伊東さん、こういう展示会を福祉施設向けにやって下さい。施設はいま近代化が必要で、こういう機器を導入していくことが大切なのです」

氏と私は、その展示会は全国社会福祉協議会(全社協)でやるのがよいということになり、すぐに二人で全社協を訪ね、この話を持ち込んだ。しかし、いくつかの理由で断られてしまった。そこで氏は私に「厚生省主催ということでアビリティーズが全部やって下さい。赤字が出たら厚生省が責任をもちます」と改めて開催の意向を示された。

それから約4カ月をかけて60社の参加企業を集め、昭和49年秋、 4日間にわたり東京・大手町で開催したのが「第1回福祉施設のための近代化機器展」であった。

第2回以降は主催を全社協とした。これが今や福祉用具の分野で世界第二の展示会となった「国際福祉機器展」の始まりである。

アビリティーズが福祉機器を開発し販売する目的は、障害のある人が自立生活を確保し、家庭で、職場で、社会で、同じ市民として生きていけるようになることにある。 たとえ障害はあっても、自らの人生を少しでも自分の意思によって判断し、行動できるようにしたい。それは「自立」を意味する。しかし、今なお、世の中で売られている福祉機器は、「介護をいかに楽にするか」ということに力点がおかれているように思えてならない。旅行や外出もできて、日々の生活を楽しめるようになって欲しい。

からだに障害があってもそれぞれがすばらしい人生、一度きりの人生を享受できることこそ大切だと、アビリティーズは考えている。